fuskushima_hope_jp
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5 61 2 3 4 8 9 1012 13 7 11 14 10東北にハワイがある。このことを日本人の多くが知っている。1966年、日本初のテーマパークとしてオープンした「常磐ハワイアンセンター」のCMは当時テレビで頻繁に流れていたし、2006年に公開され大ヒットした映画『フラガール』(李相日監督)が、そのセンターのオープンまでのダンサーたちの成長を描いた物語だったからだ。現在は「スパリゾートハワイアンズ」という名称で、屋内の温水大プール、ホテル、スパ、フラのショーなどが一つになった一大レジャー施設として福島県の顔の一つになっている。なぜ東北にハワイなのか? それは炭坑と深い関係がある。いわきは元々炭坑の町だった。19世紀半ばより採掘が始まり、20世紀に入ると東京の工業地帯に近いこともあり、石炭産業が発展。1940年代の最盛期には130もの炭坑があり、年間400万トンを産出していた。石炭産業は国の基幹産業として日本の近代化を支え、いわきはその中心だったのである。ところが1950〜1960年代には石炭が石油にとって替わられるエネルギー革命により、いわきも含め日本中の炭坑は次々と閉山。炭坑で栄えた町の多くは急速にさびれていき、全国の炭坑で働いていた人々は生活の糧を失ったのである。しかし、いわきは違った。の副社長・中村豊常炭礦磐その施設の目玉をフラのショーとし、そのために常磐音楽舞踊学院まで設立する。プロのダンサーを呼んでくるのではなく、炭坑の町の娘たちを一からフラばんこうじょうたんゆたか氏は閉山を前に雇用を維持するために温泉を利用したレジャー施設を構想する。石炭採掘で掘るそばから湧き出る温泉は、労働環境の面でも処理コストの面でも悩みの種だった。それを逆手にとって利用しようというのだ。巨大なドーム型の空間に冬でも泳げるプールをつくり、ヤシの木を温泉の地熱を利用して育てる。当時の日本人にとっての憧れのハワイを再現しようとしたのである。1 いわき市内にあるかつての中央選炭工場。常磐炭田産業遺産の一つ。炭鉱の栄えた時代を偲ばせる。2 1960年代の炭坑住宅。炭坑の鉱員たちのための家が多数建てられ、多くの家族で賑わった。3 みろく沢炭砿資料館の坑道展示。4 炭鉱から出た不要な石を積み上げたズリ山も、今は木々に覆われていて、言われなければわからない。5 人や石炭を運んだ坑内と地上をつなぐ巨大エレベーター、竪たて坑こう櫓やぐらの当時の写真(みろく沢炭砿資料館)。6 坑道内の空気を入れ替えた大型扇風機があった施設。7 かつての坑道の入り口(現在はふさがれている)。8, 11 観客を魅了するハワイアンズのフラのショー。9 ズリ山の聳える町で初期のフラガールとなった炭鉱の娘たち。10 ハワイアンズのファイアーナイフパフォーマンス。12 初期のフラガールたちのレッスン風景。13 ハワイアンズのフラ・ミュージアム14 ハワイアンズのウォーターパーク。 当時の骨組みがそのまま残る。炭坑の町の物語東北に「ハワイ」がやってきた

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